3年間補欠だった私。

過去の私

高校時代の私は、
本当にハイキューの日向みたいでした。

中学校は、
強豪でもなんでもない。

高校受験に落ちて、
たまたま入った高校が、
県内でも強いバレー部でした。

正直、場違い。

上手いわけじゃない。
要領がいいわけでもない。
身長もない。

飛び抜けた武器なんてなかった。

レシーブがずば抜けてるわけでもない。
メンタルが強いわけでもない。

練習中に過呼吸で倒れたこともあります。

『なんでここ入ったんだろ』

って何回思ったかわからない。

でも、
辞めるのも悔しかった。

ハイキューの日向って、
最初は本当に何もないじゃん。

身長もない。
経験もない。
周りとの差もすごい。

でも、
『負けたくない』
だけで食らいついてた。

私も、あんな感じでした。

高校2年生の秋。

先輩が引退して、
部員9人の時期。

なのに私は補欠。

1年生が全員レギュラーでした。

身長もない私は、
正直、戦力外。

唯一少しだけ良かったのが、
『サーブ』でした。

そんな時、
地方の私学大会。

勝てば、
全国私学大会につながる試合。

この試合を勝たないと、
望みはほぼ消える。

1セット目を落として、
2セット目。

24-25。

先生から呼ばれました。

『ピンチサーブ、行け』

正直、
足が震えてました。

『私がミスしたら終わる』

でも同時に、

『ここで弱いサーブ打ったら負ける』

とも思った。

逃げたくなかった。

だから私は、

『本気で打つ』

を選びました。

結果、

ギリギリアウト。

24-26。

試合終了。

本当に、
『終わった』
って思った。

しかも後輩には、
陰でボロクソ言われました。

『推薦でもないのに』
『何がピンチサーバーだよ』

って。

悔しかった。

情けなかった。

でも今思う。

あの時の感覚って、
ハイキューの日向の最初で最後の試合と似てた。

最後、
うまくいかない。

何もできなかった感覚。

自分だけ置いていかれる感じ。

でも、
日向ってそこで終わらなかったんだよね。

私も、
そこで決めました。

『変わらなきゃ』

って。

そこから毎日自主練。

同級生にお願いして、
練習付き合ってもらう日もありました。

でも現実って厳しくて。

3年生になっても、
次の1年生にユニフォームを取られました。

ベンチにも入れない。

『もう諦めるしかないのかな』

って思った。

それでも、
練習はやめませんでした。

裏方の仕事も、
一生懸命やりました。

強豪で何かやったことある人なら、
わかると思う。

『下の学年が動く』

そんな空気ある。

でも私の高校は、
1年生でもレギュラー。

だから、
3年生でも関係なかった。

悔しかったけど、
必死に動いた。

正直、

『どうせ誰も見てない』

って思いながら。

でも後から知りました。

先生、
ちゃんと見てた。

お母さんに、

『裏であんなに動いてくれる人がいるからチームが成り立ってた。一生懸命やってるの知ってた』

って言ってくれてたらしい。

あの時、
初めて思いました。

『努力って、見えてないだけで消えてないんだ』

って。

そして3年生最後の夏。

私は試合に出ることができました。

3年間、
しぶとく続けた結果でした。

SNS禁止だったから、
高校時代ほぼ存在消してた私。

引退後にSNS始めたら、

『今まで何してたの?』

って言われるくらい😂

でも今なら思う。

あの3年間、
絶対無駄じゃなかった。

看護学校で模試最下位だった時。

助産学校受験で、
うまくいかなかった時。

助産師になって、
壁にぶつかった時。

『しぶとくやる』

ができたのって、

間違いなく、
あのバレー部の経験のおかげ。

多分あの経験がなかったら、
私、助産師になれてなかったと思う。

努力って、

すぐ報われるわけじゃない。

むしろ、
報われない時間の方が長い。

でも、

見てる人はいる。

ちゃんと、
自分の力になってる。

だから今、

頑張ってるのに結果出なくて、
しんどい人へ。

まだ終わりじゃない。

ハイキューの日向だって、
最初からエースじゃなかった。

しぶとく続けた先に、
ちゃんと景色は変わる。

努力は報われるよ。