高校時代の私は、
本当にハイキューの日向みたいでした。
中学校は、
強豪でもなんでもない。
高校受験に落ちて、
たまたま入った高校が、
県内でも強いバレー部でした。
正直、場違い。
上手いわけじゃない。
要領がいいわけでもない。
身長もない。
飛び抜けた武器なんてなかった。
レシーブがずば抜けてるわけでもない。
メンタルが強いわけでもない。
練習中に過呼吸で倒れたこともあります。
『なんでここ入ったんだろ』
って何回思ったかわからない。
でも、
辞めるのも悔しかった。
ハイキューの日向って、
最初は本当に何もないじゃん。
身長もない。
経験もない。
周りとの差もすごい。
でも、
『負けたくない』
だけで食らいついてた。
私も、あんな感じでした。
高校2年生の秋。
先輩が引退して、
部員9人の時期。
なのに私は補欠。
1年生が全員レギュラーでした。
身長もない私は、
正直、戦力外。
唯一少しだけ良かったのが、
『サーブ』でした。
そんな時、
地方の私学大会。
勝てば、
全国私学大会につながる試合。
この試合を勝たないと、
望みはほぼ消える。
1セット目を落として、
2セット目。
24-25。
先生から呼ばれました。
『ピンチサーブ、行け』
正直、
足が震えてました。
『私がミスしたら終わる』
でも同時に、
『ここで弱いサーブ打ったら負ける』
とも思った。
逃げたくなかった。
だから私は、
『本気で打つ』
を選びました。
結果、
ギリギリアウト。
24-26。
試合終了。
本当に、
『終わった』
って思った。
しかも後輩には、
陰でボロクソ言われました。
『推薦でもないのに』
『何がピンチサーバーだよ』
って。
悔しかった。
情けなかった。
でも今思う。
あの時の感覚って、
ハイキューの日向の最初で最後の試合と似てた。
最後、
うまくいかない。
何もできなかった感覚。
自分だけ置いていかれる感じ。
でも、
日向ってそこで終わらなかったんだよね。
私も、
そこで決めました。
『変わらなきゃ』
って。
そこから毎日自主練。
同級生にお願いして、
練習付き合ってもらう日もありました。
でも現実って厳しくて。
3年生になっても、
次の1年生にユニフォームを取られました。
ベンチにも入れない。
『もう諦めるしかないのかな』
って思った。
それでも、
練習はやめませんでした。
裏方の仕事も、
一生懸命やりました。
強豪で何かやったことある人なら、
わかると思う。
『下の学年が動く』
そんな空気ある。
でも私の高校は、
1年生でもレギュラー。
だから、
3年生でも関係なかった。
悔しかったけど、
必死に動いた。
正直、
『どうせ誰も見てない』
って思いながら。
でも後から知りました。
先生、
ちゃんと見てた。
お母さんに、
『裏であんなに動いてくれる人がいるからチームが成り立ってた。一生懸命やってるの知ってた』
って言ってくれてたらしい。
あの時、
初めて思いました。
『努力って、見えてないだけで消えてないんだ』
って。
そして3年生最後の夏。
私は試合に出ることができました。
3年間、
しぶとく続けた結果でした。
SNS禁止だったから、
高校時代ほぼ存在消してた私。
引退後にSNS始めたら、
『今まで何してたの?』
って言われるくらい😂
でも今なら思う。
あの3年間、
絶対無駄じゃなかった。
看護学校で模試最下位だった時。
助産学校受験で、
うまくいかなかった時。
助産師になって、
壁にぶつかった時。
『しぶとくやる』
ができたのって、
間違いなく、
あのバレー部の経験のおかげ。
多分あの経験がなかったら、
私、助産師になれてなかったと思う。
努力って、
すぐ報われるわけじゃない。
むしろ、
報われない時間の方が長い。
でも、
見てる人はいる。
ちゃんと、
自分の力になってる。
だから今、
頑張ってるのに結果出なくて、
しんどい人へ。
まだ終わりじゃない。
ハイキューの日向だって、
最初からエースじゃなかった。
しぶとく続けた先に、
ちゃんと景色は変わる。
努力は報われるよ。

